握った砂が指の間から零れ落ちる様が妙に淫靡(いんび)で、私は思わず目を逸らした。

ここは一晩だけの砂のお城。

一晩だけの…夢。


 

サンダル シンデレラ
作:速水碧様



いつの間にやら日は傾いていて、私はなかなかまとまらない原案と睨めっこするのをやめた。

守衛さんがそろそろまわって来る頃だ。

さっき見つかったときも嫌そうな顔をしていたな。

私はあの守衛さんは好きじゃない。

帰って家でやろう。

とんとん、と紙の束を揃えるとそれを鞄にしまう。

その見た目からして重そうな鞄は、夕日に照らされてつやつやと光っている。

こんなぼろぼろの鞄でも、光が当たれば反射するもののようだ。

ちょっと勢いをつけて肩に担ぎ上げると、それは私の心にもずしりと圧し掛かったようだった。

妙に足どりが重たい。

生徒会室の扉はノックもされずに開けられた。

そこには、眉間に皺を寄せた守衛さんが立っている。

「さようなら。」

私は丁寧に言ったが、彼は返そうともしなかった。

ちょっと不愉快だ。

 

帰る道すがら、私はいつも通り、鞄から単語帳を出して眺めた。

眺めるだけ、だ。

バスは妙に揺れるし、バランスを取るだけでも大変。

この間なんて一瞬手を離したときに揺れて、前に座っていたおじさんの頭を叩いてしまった。

くすくすと洩れる笑い声の中、私は真っ赤な顔をしてそのおじさんに謝った。

そして、降りるところでもないのに、バスを降りてしまった。

いつもより帰る時間が遅くなって、母には散々絞られたものだ。

 

塾には行っておらず、家庭教師もとっていない私は、時間に縛られることなんてないはずなのにおかしいな、とよく思う。

まぁ家に帰れば母のお小言と無言の夕食、そして部屋に篭って勉強(実際は本を読んだりして過ごす)、とパターンが決まっている。

 

そんなことを考えているうちにバスは、私を駅まで運んだ。

ここから私の家までは歩きだ。

最初の頃は母が迎えに来てくれたが、生徒会に入ってからは自分で歩いて帰っている。

帰宅の時間にばらつきがあるからだ。

高三の私には、そんな時間の余裕があるわけがない。

しかし、一度立候補してしまったのだ。

もう変えられない。

内申が上がる、と最初は母も喜んだ。

最近は逆に失望されてしまったようだ。

 

「ただいまぁ。」

私は憂鬱とともに玄関に一歩足を踏み入れた。

仁王立ちしている母。

私はその横をするりと通り抜け、階段を上がった。

背後から、刺すような視線を感じる。

「生徒会で…」

「言い訳は聞きません。」

言いかけたところで口を挟まれるのはいい気がしない。

じゃあ何を求めて私を睨んだのか。

私がそれを問う前に、母の姿は台所へと消えていった。

 

憤りとともに、憂鬱感が増す。

荷物をベッドの横に置くと、着替えもしないで眠り込んでしまった。

 

「起きなさい!」

朝でもないのにそんな乱暴な起こされ方ってないだろう。

ただでさえ高い母の声が、ガンガンと寝不足の頭に響く。

時計を見ると九時を少しまわったところだ。

のそのそと起き上がると、まだ開ききっていない目をそちらに向けた。

「夕飯用意してあげたのに、降りてこないから何かと思ったじゃない!もう片付けしたからね!?」

片付けてしまったのなら起こさないで欲しかったナ。

機嫌悪いなら、放っておいてくれればいいのに。

母の背が扉の向こうに消えたのを視認すると、あかんべをしてやった。

しかし、いつも通りに私の体は机へと向かう。

向かうだけ、だ。

机のライトをつけると、ぼんやりと浮かび上がる木目。

空腹の中、私は一冊の本を思い出した。

確か、まじめな女の子が、縛られるのが嫌で、こっそり二階の部屋から抜け出して、ストリートミュージシャンの男の子と恋に落ちる話があった。

母は私が部屋に篭ると、絶対に部屋に来ない。

そんな恋愛に、少し憧れていたのだ。

チャンスは、きっと今だ。

 

私はひっつめ髪を解き、深めにニットの帽子を被った。

寝ていたせいで皺になっている制服からジーンズとシャツに着替え、ダッフルコートを羽織る。

下に降りるのはもちろん窓からだ。

ベランダから庭の木を伝って…って、本の女の子の部屋にはベランダがあり、スニーカーもそこに置いてあったが、私の部屋は窓しかない。

仕方なく、部屋のスリッパのまま木を伝って下に降りた。

コートが引っかかって下りづらかったが何とか下までたどり着いた。

この木は、私が小さいときから何度も上り下りした木だ。

丁度いい塩梅(あんばい)に、母が庭に洗濯物を干す為の健康サンダルが置いてある。

さすがにぬいぐるみスリッパで外を歩き回るのは目立つので、それを拝借することにした。

 

とりあえず、いつも利用している駅にはストリートミュージシャンがいるはずだ。

私は意を決してさっき通ってきた道を逆流した。

帰り道よりも足どりが軽い。

そりゃああの鞄がなければね。

満天の星が綺麗だ。

そりゃあもう冬だし。

思うこと一つ一つにコメントをつけながら、だんだんとスピードが速まってきてるのに気付く。

そうか、枠から抜け出すのって、こんなに面白いことだったのか。

 

駅前について壁に寄りかかってストリートミュージシャンを探す。

いるいる、女の子に囲まれたカッコいい男の子達。

歌はそれほどでもないけど、ね。

 

あの本で、女の子はどうやって男の子を振り向かせたんだっけ。

そう、確か…歌うんだ。

ありったけの声で。

…なーんて、恥ずかしいことできないよ。

私は、今にも鳴りそうなお腹に手をあて、方法を考えていた。

そして、財布を忘れたことに気付いた。

あーあ、弱ったな…お腹も空いたし…。

 

ぼんやりとしていると、数名の男の子の視線が私に向いているようだ。

ちょっとドキドキしてくる。

なんたって、ずっと女子校に通ってきた私は、こんなふうに男の子の視線を感じるのなんて初めてなんだから。

 

…しかし、どうも様子がおかしい。

目配せしあってにやにやしている。

私は、その視線が私の足元に向いているのを、ようやく知った。

健康サンダルだ…!

恥ずかしくなって、私は思わず走り出していた。

 

裏路地に飛び込む。

そこには数名の顔のいい男が群れていた。

飛び込んだ拍子に、ポリバケツを蹴飛ばしてしまった。

男達の痛い視線が私に突き刺さる。

と、群れの中から男が一人飛び出してきた。

私の手を引くと、あっという間に私を連れ去る。

一体何なの!?

 

町外れにある小さな公園で、その男は止まった。

息を整え、ふぅと息をつくと、男はしゃがみこんで私を見ながら言った。

「…あーあ、あの店もクビか…。ありがとな、お嬢ちゃん。」

お嬢ちゃんって、私のこと?

「あなた、何なの?」

呆気に取られているその男は、ちょっと見開いた目で私を頭から爪先まで見ている。

恥ずかしくなって私は、一歩あとずさった。

男は、傷だらけだけれど先ほどの男達よりも格好いい気がする。

紅茶のような髪色、色の白い顔…高い背が何となく王子様のような印象を与える。

着ているのもスーツだ。

しかし、先ほどの男達にやられたのか、足跡や泥で汚れている。

にやにやしながら私を見続ける男…怖い!

顔は綺麗だけど、何となく…。

すばやく踵を返し走り去ろうと思った。

「おっと、ちょっと待ちなよ。」

「きゃっ!?」

手首をつかまれて急停止。

ついでにバランスを崩してしりもちをつく…直前に男に支えられた。

「な、何よ!」

「ありがとう。」

え!?

私は思わず硬直した。

男から感謝の言葉を聞くとは思わなかったからだ。

「俺はあそこでホストやってる…やってた恭介ってんだ。お嬢ちゃんは?」

ホ…ホスト!?

ホストって…実在したんだ…。

ぼーっとしている私を、恭介さんは聞いた状態のまま見つめている。

どれぐらいの時間が経ったのだろう。

実際には二分程度だろうが、私にとっては何時間も経ったように思える。

ここで恭介さんが口を開いた。

「名前言いたくねーの?」

「あっ…違うけど…。」

「けど?」

彼の追撃に間髪は無い。

思わず公園の時計を見た。

もう十一時をまわっている。

「怖い…。」

それだけ呟くと私は、また貝のように口を噤んだ。

何が怖いのか。

この時間だって普段なら起きているし、中学の時通っていた塾からは今の時間ではまだ帰してもらえない時間だ。

彼は困ったように眉根を寄せた。

「じゃあなんでこんな時間に歓楽街うろついてるんだよ。それだけでも言ってみな。親御さん心配してるよ?」

「親なんて…!……心配なんてしてないよ…私のこと見てるようで何にも見てくれてないんだから…。」

親という単語に、私の心は大きく揺さぶられた。

そう、あの人たちは周りからの目ばっかり気にして、私が何をやっているかなんて知らない。

夜、私が何時まで起きているかすら知らないのだから。

「…何だ、ぷち家出か?荷物も持たずに健康サンダルで。お嬢様学校通ってるお嬢様は何も知らないもんな。」

かぁっと頭まで血が上り、気がついたら私の手のひらは彼の左頬を通過したところだった。

「あ…ご…ごめんなさ…」

「ごめんなさいじゃ済まないこと、世の中には多いんだよ。」

そうだ、恭介さんの言うとおり。

…何故私はこんなところにいるんだろう。

ぷち家出?

違う。

単なる反発?

…違う!

私は毎日同じような日々を壊したくて…枠から飛び出したのだ。

「私は…枠から出たかったの…。」

「でも出られなかった…だろ?」

彼の一言に、私はまた、口を噤んでしまった。

 

数分後、恭介さんの言った言葉に私は思わず呆気に取られた。

だって…

「砂のお城でも作らない?」

だって!

変な人…と私が思っている間に、彼はさっさと砂山を作り始めた。

スーツの袖を捲り上げ、寒い大気に触れた砂は冷たいだろうにそれすら気にせず。

私もいつの間にか、手を出していた。

 

「何で健康サンダルなんだ?」

彼は手を動かしながらも聞いてきた。

「何でだろう…。」

そこにあったからのはずだったが、ならばぬいぐるみスリッパでも良かったではないか。

「太陽の匂いって、感じたことあるか?」

「えっ?」

不思議なことを聞く人…。

「オカアサンの匂い…なんだってよ。太陽の匂いって。」

その言葉を聞き、私はドキッとした。

彼は掴んだ砂を、小指を緩めてさらさらと零した。

その様子を見ながら、私はすごくドキドキしている。

何故だろう…。

そして、その先の言葉が気になった。

 

「子供はまだ社会に出てないだろ?だから影から照らして光らせる…母親ってのは太陽なんだよ。
飯作ってくれたり、看病してくれたり、洗濯だって母親がしてくれることが多いだろ。
よく石鹸の匂いが母親の匂いだって言われるけど、じゃあ母親の匂いって太陽の匂いなんじゃねぇか、って昔親友だったやつが言ってた。
その健康サンダル、母親が庭に洗濯物干すときに使ってるやつだろ。」

私は、それを無言で聞いていた。

 

着々と出来ていく砂のお城。

お城の周りにぐるっと荊の囲いを作って…。

そこで私は、思わず言葉を口にした。

「お母さんの枠…乗り越えたつもりだったけど…。
私が自分で作った枠からは出られなかった。
歌えなかった…恥ずかしくて…。
どんなに出ようとしても、枠はずっと私を囲ってるのかもしれない…。」

恭介さんは、にっと笑った。

握っていた砂が…彼の長い指の間から零れる…。

その様子が淫靡で…私が踏み込んではいけない気がして…私は気が付いたら目をそらしていた。

「わかってるならもうおうちに帰りな、シンデレラ。
靴は落としていかなくていいから、もし枠が広がって、俺のいる世界に踏み込むことがあったら…君はこのタイピンを頼りに俺を探しな。
その頃には俺は頂点に立っていてやる。
二人で王子様とお姫様をやろう。」

彼の差し出す金色のタイピンには「KYOSUKE」と彫ってある。

気障なセリフのような気がしたが、じんわりと心に染み込んでくる彼の言葉は、私の心を強く打つ。

そして彼は、私の背中を砂だらけの手で強く押した。

「振り向くな。ここはまだ君が踏み込む世界じゃない。」

私は走り出した。

さよならも言わず。

そして…立ち止まって背中越しに言ってやった。

「私は将来、小説家になる!」

間髪いれずに走り出す。

十二時になる前に帰らねば。

彼はきっと微笑んで頷いたことだろう。

 

終

 

 

聖「思えば、このときの私がなければ今の私はいないのよね。」

 

 マスターは、掘り出した小説を読む私に、熱いコーヒーのおかわりを入れてくれた。

 静かな店内。

 もう深夜なのに彼は店を開けてくれた。

 私一人のために。

 

マスター「結局君は、小説家にはならなかったね。」

 

 低く優しい声はあの時と変わっていない。

 ホストが喫茶店のマスターになるのは、大変だっただろう。

 コーヒーカップを拭きながら、私を優しく見つめる紳士。

 暖かい部屋には、あの頃と変わらない心が満ちている。

 

FIN

速水碧ちゃんから戴いた海老原聖シリーズの番外編です☆
私はこの不思議な世界がたまらなく好きです♪
今の現実と微妙に重なったり共感出来たりする方も居るのではないでしょうか?
人は色々な自分の表現方法を持っています
それを大事にしてください♪
そして

カッコイイよぉぉ聖さん!!!o(><)o
小説ありがとう♪

byあっきー

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