哀が思わず身構えた時、獏(バク)はその長い鼻を哀の方へと向けた。

途端に哀のまぶたが重くなり意識が遠のいていく。

(ダメ。ここで意識を失ったら!)

そう思う哀だったが、どうやっても頭の中が睡魔に犯されていく。

そして、哀の意識は深い眠りの海へと落ちていったのだった。


魔法少女 マジカル☆哀 昏睡!眠り姫事件の謎を追え!! 後編


「起き……さい」

哀はまどろみの中で声を聞く。それは、なんとも懐かしいような声。

(でも、たしかこの声はもう二度と聞けなかったような……)

哀はベッドの中でそう思った。なぜか意識がはっきりしない。でも、それも当然か。寝起きなのだから。

「起きなさい。遅刻するわよ!」

声の主が哀の体を揺さぶる。哀の意識は、まだ夢心地だ。

「ほらー! 志保ー! 早く起きなさい!」

(志保!?)

自分の本当の名前を呼ばれて哀が思わず目を覚まし、ベッドから起き上がる。

まぶしいほどの笑みを浮かべて、その女性は起きた哀を見た。

「お、おねえちゃん!?」

それは、組織によって殺されたはずの哀の姉、宮野明美であった。

呆然と哀が自分の姉を見つめる中、その姉自身は不思議そうな顔で哀を見返した。

「なにきょとんとしてるのよ? ほら! 朝ご飯はとっくに出来てるんだから! 夜遅くまで研究するのも少しは控えた方がいいんじゃない?」

起きてみると、ここは、阿笠博士の家の寝室らしい。

(どういうこと? お姉ちゃんは死んだはずじゃ)

あまりのことに動揺する哀だったが、さらに哀の心を揺さぶるような事態が発生していた。

(この体は、元のワタシ?)

いつもの小学生の体ではない。哀の体は、元の18才の姿に戻っていたのだ。

(何が起こっているの?)

哀がこの事態に理解できないでいると、明美が哀の顔を覗き込みながら言った。

「もう! ちゃんと起きたの?」

自分の姉が自分の顔を確認するように見つめてくる。そんな明美に向かって、なんとか哀は言葉を返すことに成功した。

「ええ。起きたわ。……お姉ちゃん」

「よし! ならさっさと朝御飯を食べましょ?」

明美がほがらかに笑うとダイニングルームに向かう。哀も後をおそるおそる追いかけた。

「おおー! 起きたか。志保くん。」

朝御飯を食べていた阿笠博士が、哀に向かって声をかけてきた。なぜか呼び名が志保だった。

「まったく! この子ったらいつも研究ばっかりで、起きるの遅いんだから!」

「まあしかたないじゃろうな。」

明美と博士が、話し合っている中、哀は椅子に座る。

用意されていたのは、トーストを焼いたものにコーヒー、ハムエッグといった定番の洋風朝食だった。

哀はひとまずコーヒーに口をつけた。

「そんなこの子が工藤君とつきあってるんだから、わからないわよねー」

ごほっ!

哀は姉の言葉に驚いてコーヒーを吹き出し咳き込んだ。

「な、何を言ってるの!?」

「なによ。そんなに驚くことないじゃない」

明美は哀の驚きぶりに不思議そうな顔をする。

「まあ相手がわしが幼い頃からの知ってる新一と言うのも感慨があるのう」

博士はコーヒーを飲みながらしみじみと言った。

「でも、工藤君ってかっこいいわよねー」

明美は、思わせぶりな顔をすると、

「そんなに研究ばっかしてると、大くんと別れてお姉ちゃんが工藤君を取っちゃうぞ?」

「お姉ちゃん!!」

思わず哀が叫び、周囲が穏やかな笑いに包まれる。

哀は、気持ちが暖かくなるのを感じていた。

「大変! もうこんな時間! ほら、志保! 行かないと!」

明美は学校の制服とかばんを持ってくると、言い放った。

「さっさと着替える!」

不思議に思いながらも、哀は部屋に戻ると制服に着替えた。

(何かしら? この制服。どこかで見たような気がするのだけど……)

だが、なぜか上手く頭が働かない。この制服は前に見たような気がするのだが……

「着替え終わった?」

制服に着替え終えた哀は、明美の言葉にうなずいた。

「なら早く学校に行かないとね!」

背中から押しながら、明美は強引に哀を玄関まで連れてきた。

「さあ。行ってらっしゃい! 工藤君によろしくね!」

姉の声援を受けて、哀はかばんを持たされて家から出た。

(学校? それに、工藤君によろしくって……)

哀が今の状況に困惑していると、声をかけてきた人物がいた。

「よう! 志保!」

「工藤君!?」

哀は驚いた。博士の家の前で工藤新一が待っていたのだ。哀と同じ高校生くらいの姿で、前に見た帝丹高校の制服を着ている。

「なんだよ。新一って呼んでくれよ。」

そう言うと、哀の前で新一は肩をすくめた。

「まあいいや。ほら、行くぞ! 志保」

新一が、哀の手を取り走り始める。

「あ!」

哀はその手のぬくもりを感じながら、新一に遅れないようついて行った。

 

 

「お? 校内名物カップルのご到着だな」

遅刻ぎりぎりに帝丹高校の校門に到着した哀と新一は、そんな言葉で出迎えられた。

「一緒に登校か。アツイねー!このっ!」

哀と新一の仲をからかう新一のクラスメートらしき男子生徒や微笑ましそうに二人を見る女子生徒。

なぜか哀と新一はつきあっていることになっているらしい。そのことに戸惑いを覚えながら、哀は新一の手によって引かれながら校内にと入っていった。

すれ違う度に哀と新一に挨拶をしてくる帝丹高校の生徒たち。誰も哀が帝丹高校の制服を着ていることに疑問を覚えていないようだった。

(いったい何なの? この状況?)

もはや困惑しか覚えない。哀はこの状況にただただ惑わされるばかりだった。

「ねえ」

「ん? なんだ? 志保」

「これはいったいどういうことなの?」

呼びかけた哀に振り返った新一に、思わず聞いてしまう哀。

「どういうことってなんだよ?」

この状況を不自然に思ってないのか、新一は不思議そうな顔で哀を見ている。

「だから、なぜワタシとアナタが……」

つきあっていることになっているのか。

と、口に出そうとして思わず口を閉ざす哀。なぜかその言葉を話すのがためらわれた。

「そ、それにいつまでワタシの手を握っているのよ?」

朝、会ってから今に至るまで、新一と哀の手はつながれたままである。

それが気恥ずかしく感じて哀は、咎めるような言葉を出す。

「なんだ? イヤなのか?」

「イヤというわけでは……」

歯切れの悪い口調で返す哀に、新一は爽やかな笑顔を浮かべてあっけらかんと言った。

「なら、別にいいじゃん」

その新一の笑顔に、哀はなぜか心臓の鼓動が不規則になるのを感じた。

「お、ついたみたいだな。じゃ、入るぞ!」

「あ!」

手を引っ張られて、哀は新一とともに教室のひとつに入っていった。

 

 

教室に新一とともに入った哀は、ここでも仲を冷やかされた。

「まったくうらやましいぜ!」

「我が校きっての高校生名探偵と、天才高校生科学者のカップルだもんなあ」

「お似合いだぞ!二人とも!!」

そんな言葉が周りのクラスメートから降り注ぎ、哀はむずがゆいような気分になる。

「まったくホントアツイわね。ここだけ夏真っ盛りって感じよ」

「げ、園子」

茶髪の女子生徒が新一たちの前に現れて盛大に冷やかす。その姿を見て、新一が少しイヤそうな顔になる。

毛利蘭の親友の鈴木園子だった。

子供の姿の時にあまり話しているわけでもないので、それほど知っているわけでもないが。

「げ、とは何よ。げ、とは!」

「オメーは、騒がしいからあんまり話したくねーんだよ」

園子が新一に食って掛かり、新一がイヤそうに言葉を返す。そんな他愛無いやりとりを哀は横目にただ大人しくしていた。

「まあいいわ。こんな無粋な推理オタクをよくダンナにしたわよね。志保」

園子が気を取り直して哀に話しかけてくる。

「……」

しかし、哀は言葉を返さなかった。返せなかったのだ。

園子はそんな哀に構わずしゃべり続けてくる。

「まあただ一人の幼馴染どうしだもんね。そこらへんは織り込み済みかあ」

と、そこで哀の心に疑問が浮かんで思わず聞いた。

「ただひとりの幼馴染って、毛利蘭は?」

哀の問いかけを聞いて、新一と園子が同時に不思議な顔をする。

「は? 毛利蘭? 誰だ。それ?」

「蘭って誰のこと?」

新一と園子のわけがわからないというような顔。それを見て、哀は驚きの表情になる。

(毛利蘭を知らない?そんなわけないはずなのに……)

キーンコーンカーンコーン

と、そこで授業の開始を告げるチャイムが鳴った。

「お、授業の時間だな。じゃ」

「そうね」

新一が哀の手を離し、自分の席に座っていく。園子も話を切り上げると、自分の席にと戻っていった。

ただその場に哀は取り残される。

(まったく何が起こっているの!?)

哀はただただ戸惑うしかなかった。

 

 

その後、気を取り直して自分の席に座った哀は、(ただひとつ空いてた席があったので自分の席らしいとわかった)こんな状況に陥った理由を考え込んでいた。

(どういうこと? 何なの? この状況は?)

姉が生きていて、博士の家で一緒に暮らし、自分が帝丹高校の生徒であり、新一とつきあっていて、毛利蘭がいない。

こんな状況に放り込まれ、哀は自分の思考に限界を迎えそうだった。

(もうわけがわからないわ)

なかばヤケになりそうな思考を無理やり抑える。なんとか考えを冷静な方向へと保とうとする。

(それに工藤くんと同じクラスになるわけがないのよ。そもそも)

哀の元の年齢は、18才。工藤新一の年齢は17才である。その差は一才違い。

当然、哀の学年は工藤新一のひとつ上となり、一緒のクラスに元々なるわけがないのだ。

なのに、哀と新一は同じクラスになっている。誰かに仕組まれたかのごとく。

ふと哀は座っている新一の席の方を見た。

さすがに高校生名探偵といえど、学校の授業は退屈らしく、少しあくびをしている。

その様子は、今まで帝丹小学校で見た学校でのコナンの光景と似通っていた。

 

 

そんな哀にとっての学校での授業が全て終わり、放課後になった。

「おしっ。帰るぞ!!志保!!」

授業が終わるやいなや、新一が哀の席に来て一緒に帰ろうと言い出した。

「帰る?」

哀が新一の言葉をオウム返しに返す。授業中もこんな状況に陥った理由を考え続けていたあまり、思考が追いついていかなかった。

「どうしたんだよ? 志保? 研究のし過ぎで疲れてんのか?」

新一が哀のことを労わるような言葉をかける。哀はそんな新一になんとか言葉を返した。

「なんでもないわ……」

「なら帰るぞ!」

朝の時と同じように哀の手を取って、新一が歩き出す。それに連れられるようにして哀は新一についていった。

 

 

高校を出て隣に並ぶと新一は、哀の歩みに合わせる様ゆっくりと歩く。

夕陽が二人を照らし、穏やかなオレンジ色の光で辺りは包まれていた。

「それでさ〜。昨日の事件でよ?」

他愛もない話。それが新一の口から繰り出される。

哀はそれを聞き流しながら、新一と二人きりで歩いているというこの光景に不思議な感じを覚えていた。

(今まで小学生の工藤君とワタシが一緒に歩いたということはあったけど……)

高校生の姿の工藤新一と同じ高校生の姿の自分が、一緒に歩くということはなかったような気がする。

(というか、あったはずないわね。そんなこと)

そう。今までそんなことがあったはずはない。

だが、自分はそんなことを今している。

そのことに、哀は不思議な感覚を受けるのだ。

それは、もしかしたらあったかもしれない光景……

「…………」

ふと新一が押し黙った。

「?」

哀は疑問の顔つきになって隣にいる新一を見る。

新一はなぜかまじめな顔をしていた。それは、まるで事件の推理をしている時のようなそんな顔。

「志保」

「何……?」

新一に志保と呼ばれることに慣れていない哀はそっけなく言葉を返すのが精一杯だった。

新一は哀の顔をまっすぐ見つめて告げた。

「愛してる。志保」

その言葉をかけられた時、哀の心にイナズマのような衝撃が巻き起こった。

「俺は、本当に志保のことを愛してるんだぜ」

新一は真剣な目をして近付いてくる。

哀は動けなかった。

 

 

「まずい! まずいぞ! 灰原が危ない!!」

コナンは帝丹小学校の校内を走り回っていた。

教室や部屋の中では、眠った子供たちや先生がいる。そんな光景を見ながらコナンは哀を探していた。

もちろん哀がこの騒動に巻き込まれたとは限らない。別の場所で無事である可能性もあるだろう。

しかし、今まで何の連絡もなかった以上、この獏(バク)の騒動に巻き込まれたと考えた方が自然だった。

このままでは、歩美と同じことになってしまう。

「灰原あああああ!!」

コナンは、哀の名前を叫びながら走る足を速めた。

 

 

「愛してるぜ。志保」

その言葉とともに哀は新一に抱きしめられる。

「お前を愛してる……」

新一が耳のそばでつぶやくようにささやいた。

そして、新一は自分の顔を哀の前に持ってくるとゆっくりと唇を哀の口元に近づけようとする。キスの体勢だ。

ドンッ!!

その時、新一の身体は大きく突き飛ばされた。

「なにするんだ!志保!」

新一は突き飛ばした哀に抗議の声を上げる。

哀は、うつむいた顔のまま絞り出すように声を出した。

「こんな茶番を見せられたくはないのよ……」

「何を言ってるんだ!?」

新一はわけがわからないといったように首を振る。

そう。これはあったかもしれない光景。新一と哀が何事もなく出会い、付き合っていたかもしれない。そんな光景。

でも、そんなことはありえない。

新一と哀は黒の組織がらみで出会い、そして、新一には好きな少女がいるのだから。

哀はキッと新一を睨み付けると、クールでありながら強い意思がこもった口調で告げた。

「早く正体を見せなさい。もうわかっているのよ」

ナイフのように鋭い視線を送った哀に、新一は言葉を返さなかった。

「…………」

やがて、新一の形をしたものは、表情をがらりと変える。

その表情は、今までの人懐っこいものから人を害そうとする悪意じみた笑みに変貌していた。

新一が態度を一変させた途端、世界がまたたくまに変化していく。

明るい夕陽が、下校していた通学路が、周囲の一切全てが崩れ落ちるように消え、哀と新一は真っ白だけの世界に二人きりになった。

「…………」

新一は言葉を発しない。だが、哀を害そうという雰囲気だけは痛いほどに伝わってきた。

「行くわ」

哀は帝丹高校の制服のまま、両手をひらめかせた。

哀の攻撃衝動がこの精神世界でナイフという形を形づくる! そのまま哀はたくさんのナイフを持って身構えた!!

シュッ!

カカッ!カッ!カッ!カカカッ!

哀はたくさんのナイフを新一の姿をしたものに投げつけた!

だが、新一の偽者は微動だにしない!

ビシュッ!ビシュッ!

ナイフによって新一の服が切り裂かれる!

しかし、さしたる傷は負っていなかった。

「ムダダ……」

新一の偽者は人とは思えない言葉を発すると、哀に思念を送ってくる。

(オマエニハ、コノモノヲ、キズツケルコトハ、デキナイ)

哀はいくら偽者と言えども新一の姿をしたものに傷を負わせる事はできなかったのだ。

「いえ。次は、本気よ。次は、狙うわ……」

押し殺した声を発する哀。

シュッ!シュッ!

カカッ!カッ!カッ!カカカッ!カッ!

再び哀はナイフを投げつける!!

しかし、新一に届く前に哀に向かってUターンして戻ってきた!

「え?」

哀は必死にナイフをかわそうとする!

「うっ!」

ナイフは思いもよらない方向へと動き、太腿に肩にわき腹へと刺さっていく。

(コンドハ、ホントウニネラッテキタナ。ダガ、)

今、哀の精神は眠りの状態にあるのだ。この精神世界の支配力が劣っている。

新一の姿をしたものは、指を鳴らした。

哀の胸めがけてナイフが一筋閃光のように飛んでいく。

ナイフが哀の胸にグサリと言う音を立てて突き刺さった。

 

 

コナンはやがて自分の教室の前へとたどりついた。

教室のドアを強引に開け、中に入る。

光景は変わらない。寝ている子供たちや先生。

しかし、コナンはそこで見知った赤みがかった茶髪の少女の姿を見つけた。

「灰原!!」

慌ててコナンは近寄ると寝ている哀を抱き起こす。

腕の中で寝ている哀は苦しそうに顔を歪めていた。まるで悪夢でも見ているかのように、まるで何者かと戦っているかのように。

「灰原!!」

もう一度コナンが哀の名前を呼んだ時、注意を喚起する声が上がった。

「危ない!! コナン!!」

そばにいたヒョウちゃんの声にコナンが我に返ると、そこにはゾウのような鼻をした、身体がクマ、脚はトラ、尾はウシといったさまざまな生き物が合わさった奇妙な生物、獏(バク)がいたのだった。

「げ!やば!」

顔を引きつらせたコナンに獏(バク)はそのゾウのような長い鼻を向けた。

 

 

新一のような姿をしたものはその白い精神世界で倒れた哀を見つめた。

その哀の胸にはナイフが突き刺さっている。それを見届けると、新一の偽者はその場を立ち去ろうとした。

(シカシ、ザンネンダッタナ)

新一の偽者、獏(バク)の精神体は人間とはかなり異なった精神の中でそう思った。

獏(バク)は夢を司るモノである。そして、夢とは人間の精神によるモノである。

当然、夢を司る存在である獏(バク)は多少は人間の精神構造を理解することができる。その精神構造を理解できるということを利用して、獏(バク)は夢を操ることができるのだ。

いい獏(バク)はその理解した精神構造で悪夢を取り除くが、この獏(バク)はその力を使って人を眠らせ続けるということを行った。

そして、眠らせ続けるためにその人間にとってもっとも都合の良い夢を見せ続けるということを行ったのだ。

今も眠り続けている人間は自分が眠っている夢の中でそれぞれにとって都合のよい夢が見せ続けられている。だから、その人間は起きようとさえしない。

しかし、この女、哀は打ち破ったのだった。自分にとって都合の良い夢を。

それだけの精神力を持つなら糧にすればどれだけ、自分の力は増したことだろう。

そう考えると、獏(バク)は残念だという思いを抱いたのだった。

そんなことを人とは異なる思考で考えながら、獏(バク)の精神体である新一の偽者がその場を立ち去ろうとしたその時、新一の偽者が驚いた表情で振り返った。

「はあ。はあ。はあ」

振り返った新一の偽者。その視線の先にいたのは、荒い息をつきながら立ち上がった哀だった。

ナイフは胸に突き刺さったままだった。

新一の偽者は愕然と哀を見つめる。

確かにナイフは突き刺さった。これは精神体にダメージを負わせる攻撃衝動。それが胸に突き刺さったということは、精神的に衰弱死してもおかしくないはずなのだ。

それほどのダメージを受けていながら。

(ナゼ!)

立ち上がれる?

そんな思いを思念波にして送った新一の偽者に哀はクールな表情で肩をすくめてみせた。

「さあ? ワタシにもわからないわ。けど、呼ばれた気がしたから」

「ヨバレタダト?」

「ええ」

困惑する獏(バク)の精神体。だが、慌てて思い直す。

まだこちらが有利だ。相手は眠っている。こちらは夢を司るモノ。当然こちらの方が精神世界の支配力は上のはずなのだ。

「そして、呼ばれた以上ワタシはこんな世界に留まっているわけにはいかないのよ!」

叫んだ哀は胸に突き刺さったナイフを抜き出すとそのまま新一の偽者に向かって投げ放ってきた。

新一の偽者は嘲笑した。

確かにこの女はすばらしい精神力の持ち主だ。それは認めよう。

だが、結果は前と同じになる。このナイフだって前と同じように簡単に操れる。

そうして新一の偽者は指を鳴らした。

そう簡単に操れるはずのそのナイフは……

まっすぐに新一の偽者の足へと突き刺さった。

「ナン、ダト!?」

新一の偽者がうめき声を上げる。白いその世界が一瞬ぐにゃりと曲がる。

「ナゼ!?」

操れない!?

獏(バク)が驚愕する。その中、哀は鋭い視線で新一の偽者をにらみつけた。

「ここはワタシの世界よ。あなたには退場してもらうわ」

無数のナイフを構えながら、哀は新一の偽者にそう宣告してきた。

 

 

戦いがはじまった。

ここは精神世界。一瞬は永遠であり、永遠は一瞬。

ここでは時間という概念は意味を持たない。

そんな中、無数のナイフを構えながら哀は新一の偽者、獏(バク)の精神体と戦っていた。

哀がナイフを投げつける。新一の偽者がそれをかわす。

対する新一の偽者も逃げるばかりではない。同じようにナイフを創り出し哀の方へと投射してくる。

しかし、徐々に哀は獏(バク)の精神体を追い詰めていた。

新一の偽者の足に突き刺さったナイフ。それが新一の偽者の足を鈍らせていたのだった。

ナイフが新一の偽者の腕に突き刺さる。うめき声を上げる獏(バク)の精神体。

哀はすかさずスキを突き、ナイフを新一の偽者の足元に集中させる。

「ギャアア」

ナイフが新一の偽者の足に一斉に突き刺さる。獏(バク)の精神体は奇声を上げた。立っていられなくなり新一の偽者は足元から崩れ落ちる。

哀が足を止めた新一の偽者に宣言する。

「これで終わりね」

対する新一の偽者は悔しそうにしていたが、なぜかにやりと笑った。

それにかまわず哀はナイフを新一の偽者の胸元へと投げ放った。

グサリという音を立て新一の偽者の胸にナイフが突き刺さる。新一の偽者の身体がドサッと前のめりに倒れこんだ。

「ふう」

哀は安堵のため息をつく。どうやら倒せたらしい。

(まったく危ないところだったわ)

夢という精神を司る能力を持つ敵に哀はヒヤリとするモノを感じていた。

そう一歩間違えていたら自分もあの夢の世界に取り込まれていたかもしれない。

それを考えると、自分があの胸にナイフが突き刺さったにも関わらず起き上がれたのは全く持って幸運だった。

そんなことを考えていた哀だったが、ふと妙なことに気づいた。

「?」

元の世界に戻らない。目が覚めない。元凶である獏(バク)を精神世界でとはいえ倒したのに、哀はまだ白い精神世界に閉じ込められたままだった。

「どういうこと?」

哀が疑問に思ったその時、嘲笑が白い世界に響き渡った。

いや、それは声ではない。嘲笑う思念波が周りの白い世界のあちらこちらから哀に向かって届いたものだった。

(マサカ、タオサレルトハナ。ダガ、ムダダ。コノセカイハ、ワタシノココロデ、ツクリダシタモノダカラナ。ソシテ、)

今、哀が倒したのは獏(バク)の精神体の一部に過ぎない。それを倒しただけでは、この世界から目が覚めることはないのだ。

言わば、この白い世界自体が獏(バク)の精神体そのもの。そういうことだった。

そんな思考を思念波で飛ばし、獏(バク)の精神体は哀を嘲笑する。

それに対し、哀はため息をひとつついた。

「そう。そういうことなのね」

(ワカッタカ? ナラバ、ムダナテイコウハ)

「それにしても、アナタってバカなのね」

(ナンダト?)

哀が呆れたように言った。獏(バク)の精神体が戸惑う中、白い世界で、ただ一人哀は何もない空間に語り続ける。

「黙っていればワタシをただこのまま閉じ込めておくこともできたのに」

そう言うと、哀は右手をひらめかせた。その手の中に現れた物を見て、獏(バク)の精神体が動揺する。

(!?)

「そう。この白い世界全体がアナタの精神なら、」

哀がその手に現れたハート型爆弾を投げつける。

「その世界ごと叩き潰してしまえばいいのよ!」

どっかーーーーーーん!

そのハート型爆弾が爆発した。その巨大すぎる衝撃波は白い世界のあらゆる空間に波及する。

(ギャアアアアアア)

獏(バク)の精神体が悲鳴を上げる中、その白い精神世界は粉々に砕け散っていった。

 

 

コナンが獏(バク)にその長い鼻を向けられて緊張の顔を思わず作る。

何をされるのかと身構えたコナンだったが、唐突にうごめいていた獏(バク)の長い鼻が動きを止めた。

「ん?」

コナンがいぶかしんでいると、そのまま獏(バク)の身体が大きく横に倒れる。そして、そのままピクリともしなかった。

「何が起きたんだ?」

疑問の顔つきになったコナンだったが、その時コナンの腕の中に居た哀の身体が身じろぎをした。

驚きながらコナンが抱きしめている哀の顔を見つめる。

哀はやや気だるげにしながらも倒れている獏(バク)の方を見つめて言った。

「どうやら……何とか……なっ……た……ようね」

それだけを言うと、そのまま再びゆっくりと哀は目をつぶる。

「おい! 灰原! 灰原!!」

再び、哀はコナンの腕の中で寝息を立てていた。その顔は、今までの苦しそうなものとは違ってとても安らかなものだった。

 

 

哀はまどろみの中で夢を見た。

これは夢だとはっきりとわかる。そんな感じの夢だ。

その夢は、死んだ姉の夢。姉の記憶だった。

たわいないおしゃべりをしている時の姉。諸星大という恋人のことをうれしそうに話している時の姉。そんなたわいのない日の記憶だった。

(そうね)

夢うつつの中で哀は思った。あの獏(バク)は悪いモノだった。だが……

(姉の姿を夢の中でも見せてくれたのだけは感謝してもいいかもね)

そんなことを哀は思う。

そのことを少し嬉しいような気持ちで、哀はゆっくりと目を開けた。

「は?」

哀は思わず疑問符をつぶやいた。

目覚めた哀の目に飛び込んできたのは、実に奇妙なものだった。

自分は今、コナンの腕に抱かれている。それはいい。二度目に眠りに落ちる前に確認している。

だが、そのコナンの顔が間近にあるのはどういうことなのだろう。

しかも、コナンはなぜか目をつぶっている。そのまま顔をゆっくりと近づけてきているのだ。

「あなた。何をしているの?」

いぶかしげになった哀が思わずたずねる。すると、コナンは「おわっ!」と言いながら、顔を急スピードで引くやいなや抱きしめていた腕を解き、大きく哀から離れる。

哀は寝転んで抱きしめられていた体勢のせいで、急に離されて床に頭を打ちそうになったがなんとか立ち上がった。

「ああ。くそっ! 後もうちょっとだったのに!!」

そばに居た宙を飛ぶ小さな黒ヒョウがくやしそうにする。

立ち上がった哀はわけがわからない顔でコナンとヒョウちゃんを見つめる。

やがて、コナンがヒョウちゃんに食って掛かった。

「おい! どういうことだよ!? キスしない限り目覚めないんじゃなかったのか!?」

「いやあ。そのはずなんだけど、おかしいなあ?」

詰め寄るコナンにあいまいな返事をするヒョウちゃん。

その様子を見て、哀はコナンがしようとしていたことの意味を悟った。

「要するにだまされたのね。あなた」

哀が呆れた口調でコナンにつぶやく。

コナンが大きく動揺しながらもヒョウちゃんを指差して哀に弁解した。

「い、いや。こいつが! 『獏(バク)の悪影響が残っているんだ。キスしないと目覚めない』なんて言うから!!」

そして、コナンは哀にキスをしようとしてあんな感じに顔を近づけてきていたというわけだ。

思わず哀はため息をつく。

「この妙な生き物の言うことは信じない方がいいって、わかってたはずでしょ?」

「いや。そうだけどよ〜」

「まあいいわ。それより獏(バク)はどうなったの?」

哀は話を切り替えて、マジカルモンスター、獏(バク)がどうなったのかを聞いた。

それについてヒョウちゃんが答える。

「ああ。獏(バク)ならさっきマジカル☆コナンのサッカーボールで吸収したぞ」

一応コナンも臨時魔法少女(?)である。その変身アイテムであるサッカーボールでも獏(バク)を吸収することは当然できた。

「そう。ならこの騒動は終わりね」

哀がそうしめくくった時、コナンが疑問をつぶやいた。

「それにしても、なんで獏(バク)は唐突に倒れたんだろうな?」

コナンが首をかしげているので、哀は説明した。

「たぶんワタシが精神世界で倒したからでしょうね」

「精神世界で?」

哀の言葉をヒョウちゃんが補足する。

「哀を夢の中で眠らせ続けようとした獏(バク)だったけど、逆にその哀の夢の世界で返り討ちにあったんだな。それで、精神的にダメージを負ったんで気絶したんだろうなあ」

「そういうことみたいね」

それを聞いてコナンが気まずそうな顔になる。

「なんだ。なら慌てて助けに来ることもなかったな。なんかオレの方が助けられた感じだぜ」

「そんなことないわ。助かったわ。工藤君」

哀はコナンに礼を言った。

そう。一度はあやうくあの眠りの世界で倒れかかったのだ。しかし、なぜか哀はまた立ち上がることができた。

何かに呼ばれた気があの夢の世界でしたが、それはもしかしたらこの少年のおかげかもしれない。

そんなことを考えていると、不意にコナンがハッとした顔になるとヒョウちゃんに詰め寄った。

「って、そんなことよりよくもだましてくれたな!! 何がキスすれば目覚めるだ!!」

「いや、でもあれをやれば哀も喜ぶし……」

「わけのわかんねーこと言ってんじゃねー!」

だまされたと知ったコナンが強い口調でヒョウちゃんと言い合う。

そんな様子を呆れた顔で見ていた哀だったが、不意に夢の中で新一と恋人同士だったことが思い浮かんだ。

夢の中でとはいえ抱きしめられて、耳元で愛をささやかれたことが脳裏をよぎる。その後にキスをされそうになったことも。

(そうね。アレは偽者だったけど、本物だったら)

と、そこで、哀は先ほど自分とコナンがキスをする一歩手前までいっていたことを思い出した。

(ちょっと惜しかったかもね。って、何考えてるのよ。ワタシは)

ヒョウちゃんとコナンが口論し合う中、哀はそんなことを考えてしまった自分の思考を戒めたのだった。


あとがき

全ては可能性の話にすぎません。

もし、彼女が黒の組織の一員ではなく、ごく普通に彼と出会っていたら、彼女と彼の関係はその時どうなっていたのでしょうか?

といったところで、探偵kです。

今回の話は一番書いてみたかった話でもあります。
哀とコナンがごく普通に会って高校生をしていてつきあっていたら、という仮定の話ですね。なぜか頭の中に浮かんだ話でもあるので。

まあ今回の話では毛利蘭は出しませんでしたが、毛利蘭も高校生の哀と顔見知りだったりしたらどんな関係だったのか? など、想像がかきたてられる設定ですね。
ま、二人の少女に想われて新一はモテモテという感じでしょうか。

さて、雑談はこれくらいにしてこれからの予定に移ります。

とうとう残り後1話となりました。

最終回を無事書ききれるのか。一応、イメージは出来ていますが、小説は生き物なのでどうなるかはさっぱりわかりません。まあなんとかなるとは思っていますが。

それにしても一話を書いたときから考えると本当に長かったです。まあ1話から16年ですからね。それを考えると読んでくれている読者さんやこのホームページの管理人のあっきーさんには本当に感謝の気持ちです。

自分では1話を書いた時には、続き物にするつもりもあまりなかったのですが、なんだかんだで続いて結局こんな感じになりました。まあこれも小説が生き物たるゆえんでしょう。

さて、といったところでとうとう残り一話です。読者の皆さん、管理人のあっきーさんには後少しおつきあい願いと思います。




探偵k様!!
ありがとうございましたっ泣きそうになりながらも哀ちゃんの気持ちを汲んだ素敵な話でしたっ(うっうっ)
そしてあの漠をも倒す哀ちゃんの精神の強さには感服です。もちろん色々とあった哀ちゃんだからこその話だと思います。
今回もしかするとコナンの魔法少女姿を期待しつつもさらっとかわす探偵kさんが最高です(爆)いや出てましたよ魔法少女コナン(笑)
2行だけ・・・
ああ・・次が最終回なんて・・・今回のクライマックスで盛り上がってきたところなだけに楽しみとさみしさがこみ上げてきます…
ほんとにたくさんの小説を投稿していただけてめちゃうれしいです!
そして次号の最終回を皆様楽しみにしててくださいね〜 by akkiy